2016年5月4日水曜日

現代に残るヴィクトリア朝

 ヴィクトリア朝から100年以上の時が流れていますがその影響は日本にも残っています。今回は現代日本でも見ることのできるヴィクトリア朝の文化を見ていきましょう。

○結婚式
結婚式には多くのヴィクトリア朝のエッセンスを見つけることができます。なんといってもまずはその衣装でしょう。男女ともに衣装はヴィクトリア朝にルーツを持ちます。1840年、ヴィクトリア女王はザクセン=コーブルク=ゴータ家のアルバートと結婚します。それ以前王族の結婚式で女性は銀色の衣装が着用されていました。しかし、ヴィクトリアはレースで美しく装飾された純白のドレスを纏いました。これを人々がこぞって真似て現在に至るわけです。
ヴィクトリアとアルバートの結婚。ちなみにプロポーズしたのは一目惚れしたヴィクトリア。
この日ロンドンの群衆たちは老いも若きも卑しきも貴きも歓喜に包まれた。
さて、男性の衣装に話を移しましょう。現代見かける男性の服装はタキシード、モーニングコート、フロックコートといったところでしょうか。時々フロックコート風の服をタキシードと呼んでいる例も見かけます(嘆かわしいことです)。モーニングコートとフロックコートはヴィクトリア朝で礼服として使用されました。二つの服装は似ていますがモーニングコートは裾が斜めにカットされているのが特徴です。また現在では一概にそうとは言えないのですがフロックコートはダブルブレストでした。一応説明しておくとダブルブレストとはボタンが二列になっているということです。
 タキシードは1870年代のヨーロッパ大陸で喫煙用に用いられたスモーキングという服が起源です。それをプリンス・オブ・ウェールズが取り入れディナージャケットを考案しました。タキシードというのはアメリカのタキシードクラブに由来するものです。イギリスでは現在もディナージャケットと呼ばれています。現在は礼服のタキシードですが、礼服として認められたのは1920年代のことです。

モーニングコート
フロックコート
さて、服装だけではありません。豪華絢爛なウェディングケーキもこの時代から作られるようになりました。日本のウェディングケーキは3段程度の作りですがこれはヴィクトリア朝に由来します。ちなみにイギリスではウェディングケーキは保存の効く素材で作られました。ウェディングケーキは結婚式に参列した人や参列できなかったゆかりのある人に贈られました。ウェディングケーキを枕の下に置いて寝ると未来の夫を見られるという言い伝えもありました。生地が固くクリームが使われなかったからこそできる芸当ですね。また、ヴィクトリア朝ではありませんがハネムーンも1820年代頃に上流階級に広まったものです。
ヴィクトリア女王の娘ヴィクトリアと後のドイツ皇帝フリードリヒ3世の結婚式で供されたウェディングケーキ。
これがきっかけとなりイギリスのウェディングケーキは2~3段となった。
○クリスマスツリー
 クリスマスツリーの発祥はドイツですがヴィクトリア時代に各家庭で飾る風習が出来上がりました。ドイツからやってきたアルバートを歓迎するために女王がツリーを飾りました。これは王室内部のことでしたが1848年にイラストレイテッドロンドンニュースが記事にしました。これを見た上流階級の人々がツリーを飾りはじめ60年代には一般的なことになったようです。
クリスマスツリーを囲む王家の人々
王家は中流階級の人々にとって良い家庭の理想だった。
○バレンタインデー
 バレンタインデーにチョコレートを意中の相手に渡す風習については様々な説があります。門外漢には理解が及ばないのでヴィクトリア朝を起源とする説もあるということを紹介します。
 1868年チョコレート製造者リチャード・キャドバリーは美しく装飾されたチョコレート箱を作ります。
これはバレンタインデー用であったとかなかったとか様々な説があります。美しいデザインの箱は贈答用として人気を博し食べ終わった後も小物入れに利用されました。精巧なチョコレート箱はヴィクトリア朝末期には特別な贈り物と考えられるようになりました。
キャドバリーのハート形のチョコレートボックス
なかなかぼんやりとした話しかできず申し訳ありません。しかし、ヴィクトリア朝ではバレンタインデーには他にも送るものがありました。それはバレンタインカードです。これは男女関係なく大切な人に贈られました。カードは匿名で書かれていました。そのため、誰からであるか、本気であるか見極める必要が人々にはあったのです。
19世紀後半のバレンタインカード
to my valentineは決まり文句


記事を作成して思いましたがどうもリア充御用達イベントが多いですね...