◎教授・学者
階級:ミドル、アッパーミドル
【概要】
この職業には学問に携わる広範な職業が含まれる。考えられるものとしては大学教授、学芸員、パブリックスクールの教師などが挙げられる。
19世紀に英国の大学は爆発的に増加した。それまでイギリス(ブリテン諸島)には7つの大学があるのみだった。19世紀に設立された大学としてはダラム大学やロンドン大学、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスなどが知られる。
学芸員は美術館、博物館職員を指す。ロンドン市内には大英博物館やナショナル・ギャラリーなどの多くの博物館、美術館が存在している。探索者は館長であったり、理事となるような重要な役職を引き受けている場合も考えられるだろう。
パブリックスクールは上流階級の子息がラテン語や古代ギリシア語等について学ぶ名門私立校である。ヴィクトリア時代、法的にパブリックスクールと呼ばれる学校は9校あり「ザ・ナイン」と呼ばれた。
探索者の中には仕事にあぶれたアカデミックな人々もいるかもしれない。そのような人々は良家の子息の個人指導教師(tutor)や個人教授という収入の不安定な職業についていた。例えば、夏目漱石はロンドン留学中(1900~1902年)にウィリアム・クレイグというシェイクスピア研究家から個人教授を受けている。クレイグは、元アベリスティス大学の教授であったが、大学の経済的苦境からか解雇され、その後、漱石らに1回5シリングで授業を行っていたとのことである。
ヴィクトリア朝時代において女性は感情的と捉えられ、研究の世界から遠ざけられていた。しかし、ごく少数であるが女性の研究者もいた。1839年に設立された英国植物学会はその設立当初から女性の会員を認めている。これは植物を描く、育てる、その効能を知ることはレディのたしなみでもあったからである。
技能:≪図書館≫≪説得≫≪古代ギリシア語≫≪ラテン語≫≪他の言語≫ 専門とする学問を任意の数
◎科学者・技術者
階級:ミドル、アッパーミドル
【概要】
この職業に分類されるものとしては科学者、発明家、技術者、建築家などが考えられる。彼らの専門分野は生物、建築、天文、航空、軍事など広範に及ぶ。
ヴィクトリア時代は科学が体系化しただけでなく、科学そのものが目覚ましい発展を遂げていた。ヴィクトリア時代の科学者として著名な人物として電気分野で多大な功績を遺したマイケル・ファラデー(1791~1867年)や進化論のチャールズ・ダーウィン(1809~1892年)が挙げられる。
19世紀に発明されたものとしては鉄道、飛行船、電話、シネマトグラフ、電球などが挙げられる。これら、画期的発明の数々は人々の生活を豊かなものとした。
また同時代の技術者としては日本において知名度は低いがイザム・キングバード・ブルネル(1806~1859年)が挙げられる。彼の一番の功績は大西洋横断電信ケーブルの敷設である。これによりアメリカ大陸とイギリスの間で通信が可能となった。彼は現在でもイギリスで最も偉大な人物の一人に数えられる。
探索者の専門とする分野によっては政府をはじめ、各界の有力者から援助を受けているかもしれない。
技能:≪製作≫≪歴史≫≪図書館≫≪機械修理≫≪説得≫≪目星≫ 専門とする分野を最大6つ
◎学生
階級:ミドル、アッパーミドル、アッパー
【概要】
この職業は主としてパブリックスクール、もしくは大学の学生を指す。そのため彼らの階級は彼らの家の所属する階級に左右されるだろう。年収については収入ロールの半分の値とする。
パブリックスクールは13歳から18歳の上流階級の子息にジェントルマンとなる教育を施した名門寄宿学校である。パブリックスクールの卒業者は基本的にケンブリッジ大学、オックスフォード大学へと進学する。オックスブリッジと称される両大学からは未来の首相や貴族、地方紳士、聖職者、弁護士、医師など正真正銘のジェントルマンが世に送り出された。
大学の門戸は上流階級にしか開かれていなかったわけではない。例えば1836年に設立されたロンドン大学はパブリックスクール出身者以外も入学することができた。また、ロンドン大学には女性の学生も在籍していた。
学生はイギリス人に限られた話ではない。19世紀には植民地や他国から留学に来る人も多かった。例えばインド独立の指導者として知られるガンディーは1890年代初めにロンドンで法学を学んでいる。日本からも夏目漱石や東郷平八郎がヴィクトリア朝期にイギリスに留学している。
パブリックスクールは上流階級の子息をジェントルマンとする教育機関であるがレディを育成する機関も存在した。フィニッシングスクールと呼ばれる寄宿学校のことである。これは良家の子女が社交界デビューに備えるために入学した学校で教養、エチケット、社交スキル、外国語などを教育した。そのためフィニッシングスクールに在籍する探索者であれば技能欄の≪ラテン語≫を≪フランス語≫に変更しなくてはならない。
技能:≪信用≫≪図書館≫≪母国語≫≪ラテン語(フランス語)≫≪他の言語≫≪説得≫≪聞き耳≫≪乗馬≫ 個人的な興味2つ、専門とする分野1つ
おまけ:ヴィクトリア朝の教育、教養に関する事柄
○パブリックスクール
未来の英国を支配するエリートたちを養成する寄宿学校で13歳から18歳までのジェントルマンの卵たちが在籍した。教育内容はラテン語、ギリシア語などの古典的なものであった。週20時間の授業の内17時間は古典語の授業とされた。授業では文法を学んだり、キケロの暗唱などを行ったそうだがこれらは生徒たちにとって退屈なものだったようだ。
精神教育も重視されており礼拝、スポーツが盛んにおこなわれた。フットボールとラグビーの成文化されたルールがパブリックスクールから生まれたのはその証拠と言えよう。ワーテルローでナポレオンに勝利した初代ウェリントン公爵アーサー・ウェルズリーは「ワーテルローに勝利できたのはイートン校の運動場のおかげ」と言ったと伝えられている。
※実際にはモンタランベールなるフランス人の“C'est ici qu'a ete gagnée la bataille de Waterloo.”が変形したものらしい。
そのようなスポーツ教育はフェアプレイの精神をジェントルマンの共通理念として根付いた。イギリス人を語るうえでフェアプレイの精神は非常に重要なものと言える。ことに上流階級はフェアプレイを重要視し様々な場面で引き合いに出す。
文武両道に秀でた最も優秀な最上級生は監督生(Prefect)となり下級生の指導を行った。このことからもわかるがパブリックスクールは上下関係の非常に厳しい世界で上級生と下級生の待遇には大きな差があった。ジェントルマンを育成する上で上下規律は重要であるとも考えられていた。
パブリックスクールは男性のみの空間であった。その環境ゆえに同性愛は珍しいものではなかった。しかし、ヴィクトリア朝において同性愛は口に出すのも憚られる罪であった。
【主なパブリックスクール(ザ・ナイン)】
イートン校、ハーロー校、ラグビー校、ウェストミンスター校、ウィンチェスター校、マーチャント・テイラーズ校、セントポールズ校、ジュールズベリー校、チャーターハウス校
○女性と教養
フィニッシングスクールの女性であれば≪ラテン語≫を≪フランス語≫に変換するよう記したがこれには女性とその教養への時代感が現れている。ラテン語や古代ギリシア語といった古典語は学問的な言語であり、これらを解する女性は生意気であるとされたためである。古典は男性のものであると考えられていたのだ。例え聖書であっても女性が引用する際は細心の注意を払う必要があった。インテリすぎる女性は貰い手がいないと階級を問わず考えられていたのである。
女性に求められていた教養は家政のみであった。事実初等から高等に至るまで私立学校では良き妻となる教育を重視していたし、そのような授業には国から補助金が支給された。
○下層階級と教育
1870年国によって公立小学校が設立されたことで下層階級にも教育の機会が与えられた。授業料は無料で全国統一のカリキュラムで教育が施された。この教育は成功をおさめ90年代には識字率が90パーセントを上回っている。他にも下層階級向けの教育機関としては使用人養成学校のような職業訓練校も存在していた。
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