2016年3月14日月曜日

ロンドンの霧


 前にもお話ししましたように、霧の都ロンドンと呼ばれるほどロンドンは霧に包まれていました。今回はその原因や、様子についてご説明していきましょう。ルール的な説明はクトゥルフ・バイ・ガスライトの62項を参照のこと。

 書物によってブレがありますが、冬場となると霧が酷くなると言われています。11月ごろとなると霧は中心部から4マイル(約6.5km)ほどまで広がりました。この11月から1月の霧は黄色く市中を包んだため昼間でも屋内では明かりをともしたそうです。特に1月は酷かったようで「1月、ああ呪われたる霧の月よ」という表現を見かけたことがあります。この霧は人々に「頭の不快感」や「肺の痛み」をもたらしました。現在の北京市などを想像していただけるとなんとなく掴めるかもしれません。

 この霧によって朝は純白であった婦人のショールが灰色になっていただとか、手を握っていたのにもかかわらず相手の顔が見えなかったと書き残されています。霧で前後不覚となり誤ってテムズ川に落ち溺れてしまう事件などもあったとか。この時代に黒めの服装が増えたのはこの大気が原因の一つとも考えられています。

 冬場の濃い霧の原因の一つとして石炭ストーブがあります。石炭ストーブは部屋を温めたり、朝食を作るために使われました。ロンドン中で使われた何千もの石炭ストーブから立ち上る煙で空は真っ黒になったそうです。もちろん工場から排出される煙なども大きな原因の一つでしょう。

 霧はヴィクトリア朝の雰囲気を伝えるために大変重要なファクターです。この霧は探索者を苦しめたり、思わぬところで助けてくれるかもしれません。

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