2016年4月24日日曜日

英国の住居

 ガスライトシナリオにおいて英国の人々の家を描写することは多いかと思われます。外国、あまつさえ時代も違うヴィクトリア朝の家がどうであったか想像するのは難しいことです。そんなわけで英国の人々の家を紹介していきます。

 田舎の貧しい人々は藁ぶきかスレート(薄い石の板)の小屋に住んでいました。最貧の人々は大きな部屋が一つあるのみで少し余裕があれば台所と寝室が別につきました。さらに立派になると4部屋あったり2階まであることもありました。
イングランドの茅葺屋根のコテージ(トマス・ハーディの絵画)
イーストエンドのような地域に住むロンドンの貧民たちも一部屋だけでどうにか暮らしていました。彼らはそこに折り重なるようにして過ごしていました。もちろん調理もその部屋で行われ小さな暖炉でそのような人々は調理をしました。しかしこれはまだましで部屋を持つことができず階段や踊り場で寝るような人間もいました。ぶら下がり宿という1ペニーで紐にもたれかかって寝ることのできる施設で暮らす人もいます。労働者でもある程度収入があれば郊外に4部屋程度の小さな家を構えることができたでしょう。その場合は大抵、寝室二つに居間と台所という構成となります。
奥まった場所で身を寄せ合う宿のない子供たち。
写真は1890年ニューヨークのものであるがロンドンにもこのような子供たちがたくさんいた。
裕福な人々は部屋の区分を細かくしていきました。家族が使う部屋と来客が使う部屋、それに使用人の使う部屋...両親の部屋と子供の部屋、男性使用人の部屋と女性使用人の部屋といった具合です。

 裕福な家庭の家族の使うスペースは主に3つの空間から成り立っています。私室(chamber)、仕事部屋(workroom)、居間(sitting room)です。
 私室はほとんど寝室と同義で化粧室(お手洗いではない)がついていることもありました。幼児にはナースリーという部屋があり、成長すると両親の部屋の上に部屋が与えられました。
 次に仕事部屋についてです。夫が手紙を書いたり書類を書いたりする部屋として図書室(library)や書斎(study)があります。妻には同じ目的のブドワールという部屋があり、子供にも勉強部屋(school room)がありました。
マンスフィールド伯爵がロンドン郊外ハムステッドヒースにもつケンウッド・ハウス
他の家々が目にかすむほどの広さであるがこれを凌ぐようなカントリーハウスは無数にある。
裕福な人々の邸宅にはもっと様々な部屋がありましたが長くなるのでまたの機会に...




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